御朱印掲示板

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古今御朱印研究室付属掲示板
御朱印情報、サイト内情報の間違いの指摘や訂正、雑談等にご利用ください。
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天満社 - TOM

2019/12/24 (Tue) 09:55:43

迷惑かけるな
反論できないなら素直に謝れ

無題 - レプトン

2019/11/24 (Sun) 10:25:30

 こんにちは。陵墓陵印掲示板でお世話になりましたレプトンです。天皇陵関係のコンテンツを楽しく拝見いたしております。何段階充実させて下さり本当に素晴らしい・・・・。私もいつか、天皇陵印についてのHPを開きたいと思っておりますが無精者で・・・・
 さて、以前話題となりました旧陵印の使用時期について、資料を発見しましたのでお知らせいたします。管理人様が最も早い使用時期と紹介されている、掛軸の神武陵印・伏見桃山陵印の少し後の時期ですので、記録更新ではありませんが、極初期使用に関するほぼ確かな内容といえます。
 昭和2年4月に宮内省が陵印調査をしました。そして宇治部からの回答の中で、天皇陵の分は大正13年4月より、その他の陵墓の分は大正15年5月より押捺していると記されていました。
 また、旧陵印は宮内省の現地の職員の私費で調製されたことも、同資料で確認できました。詳しくは陵墓陵印掲示板に記載しております。
 また今後ともご教示くださいますようお願いいたします。

限定御朱印 - ひ

2019/10/28 (Mon) 21:49:48

茨城県の神社でみつけました。

茨城県内 御朱印巡り - ひできMail

2019/09/06 (Fri) 04:56:44

今週末に水戸市内の神社を訪れようと思っています。
御朱印ガールさん居ましたら一緒に巡りませんか?

御陵印のコンテンツについて - レプトン

2019/04/17 (Wed) 22:42:57

 こんにちは。陵墓陵印掲示板で御教示いただきました。レプトンです。こちらでは初めて掲示板に書かせていただきます。
 天皇陵印についてのコンテンツを作成されるとのことで、貴HPを訪問させていただきました。天皇陵印の記事、とても詳しくわかりやすくまとめておられますね。資料もたくさん提示され、十分な考察がなされおり、私自身全く気付かなかったことを教えられる点も多くありました。
 私も将来的には陵印についての資料を元に、陵印の歴史と、陵印切り替えの編年をまとめたいと考えております。また御教示いただければ幸いです。

 陵印の作成についてですが、誰が作成したかはわかりません。昭和55年頃に宮内庁の方に聞いた話では、皇陵崇拝会(?)という団体が作成して、各陵墓の見張り所に預けたものであると言っておられました。またその団体は主に大阪を中心とした団体であったといっておられました。今各地に残されている、戦前の皇陵への案内の石標を建てた、『大阪皇陵崇拝会』を指している可能性が高いと考えています。
 山辺部の4印、田原部の3印、片丘部の前方後円形の3印等、部によって意匠・企画が統一されていることから、同一の人物・印の業者によって作成されたと思われます。
 しかし、仁徳皇后と古い仁徳天皇陵、古い神武陵と古い弘文陵、など地域的には離れていても同じ意匠・企画で作成されたものもあります。
 また昭和60年頃に宮内庁の方に伺った話では『天智天皇陵の陵印は宮内庁の職員が彫って作っていた。天智陵の見張り所内で印を彫り、作成したと聞いている。』とのことでした。確かに陵印は、印としてのクオリティが高いもの、素人が作成したかのようなものなどがあります。天智陵や朱雀陵は印の職人でなく、一般人が作成したと思われるものもあります。特に極初期の印はバラエティに富んでおり、色々な印を作成しては淘汰されていく黎明期特有の事情があったようです。

このような陵印の紹介・研究成果を伝えてくださるまとまった研究成果をHPで発信してくださること、とても素晴らしいです。ありがとうございます。 

長々と失礼いたしました。また宜しくお願いいたします。

大阪皇陵巡拝会 - おかもと URL

2019/05/30 (Thu) 22:42:06

レプトン様、はじめまして。おかもとと申します。
レプトン様が書かれた、皇陵への案内の石標を建てた団体について、ちょっと調べてみました。

まず、京都市歴史資料館が公開している「フィールド・ミュージアム京都」 http://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ の中に、「京都のいしぶみデータベース」というのがあります。これは、京都市内にある史跡石標や道標のデータベースですが、京都だけでなく、奈良県や大阪府などのデータも一部含まれています。
また、いろいろな項目を一覧から探せるようになっていて、その中に「大阪皇陵巡拝会など天皇陵巡拝団体の道標」という項目があります。

「フィールド・ミュージアム京都」→「一覧から探す 人名・寺と神社・事項一覧」→「事項一覧」→「大阪皇陵巡拝会など天皇陵巡拝団体の道標」

「大阪皇陵巡拝会など天皇陵巡拝団体の道標」では、106基の道標を紹介していますが、これをみると、「大阪皇陵巡拝会」もしくは「皇陵巡拝会」が建立した道標は、70基以上あるようです。ただ、このデータベースに収録されていない道標や、壊れてしまった道標もあったでしょうから、実際に大阪皇陵巡拝会が建立した道標の数は、これよりも多かったと思われます。

この「大阪皇陵巡拝会」のことは、以下の論文にくわしく書かれています(すでにご存知かもしれませんが)。

船越幹央. 明治・大正期における皇陵巡拝. 大阪市立博物館研究紀要. 2001, 33, p27-38.
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007809200
http://id.ndl.go.jp/bib/5949294

これによると、大阪皇陵巡拝会は大正6年6月に結成され、会には「あみだ池大黒」 http://www.daikoku.ne.jp/ の小林利昌(三代目 小林林之助)をはじめとする、大阪実業界の有力者が多数参加していたそうです。また、大阪毎日新聞社の山本彦一社長も、この会の活動をバックアップしていたようです。
道標を70基も建てるとなると、かなりの費用が必要だったと思われますが、こうした金銭的に余裕がある会員からの援助があったのでしょう。

また、大阪皇陵巡拝会は、大正12年、畝傍山東北陵のそばの御料地に、楠200本、イチイガシ250本を献納・植樹していて、道標だけでなく、陵墓に関わるいろいろな活動をしていたようです。
(高木博志『近代天皇制と古都』岩波書店, 2006.7, p48より)

陵印の作成にも、それなりの費用が必要だったと思いますが、財力のある大阪皇陵巡拝会が、その活動の一環として陵印を作成したというのなら、納得できるものがあります。

なお、この会の出版物としては、 江崎政忠編『皇陵巡拝案内記』皇陵巡拝会, 昭和8 がありますが、ざっと見た限りでは、道標の建立や陵印の作成といったことは書かれていませんでした。

追記:
大阪皇陵巡拝会とよく似た名前の団体として、「大阪皇陵巡拝団」というのがあります。この団体のことは、『全国教化団体名鑑』中央教化団体聯合会, 1929 のp500-501に書かれています。この本は、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175206/281

これをみると、この団体は大正2年の結成で、大阪皇陵巡拝会の結成される4年前から活動を開始しています。しかし、先に見た「大阪皇陵巡拝会など天皇陵巡拝団体の道標」には、大阪皇陵巡拝団の道標は3基しかありませんでした。これだけで即断するのは危険かもしれませんが、会としては、大阪皇陵巡拝団より大阪皇陵巡拝会のほうが裕福だったようです。

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補足です。

フィールド・ミュージアム京都の「京都のいしぶみデータベース」のデータは、京都市オープンデーターポータルサイトからダウンロードすることができます。ただし、このデータの中には、道標の碑文など大阪皇陵巡拝会がわかるデータは含まれていません。
https://data.city.kyoto.lg.jp/node/14455

こいわい様の「奈良県の道標マップ」には、「京都のいしぶみデータベース」に含まれていない大阪皇陵巡拝会の道標があるようです。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1ZlStvgEspYq9mjqrdJkBI4VaAHc&ll=34.55681384695225%2C135.80316205048496&z=12

御礼~岡本様 - レプトン

2019/06/30 (Sun) 15:55:00

岡本様
 大阪皇陵巡拝会についてのご教示ありがとうございます。1か月も前にお知らせ頂いておりましたのに、つい先ほど気づいた次第で申し訳ありませんでした。御教示に対しお礼を申し上げます。どうもありがとうございます。また遅れましたこと、お詫びいたします。
 大阪皇陵巡拝会についてはまとまった情報がなく、貴重な資料です。これからゆっくり資料をみて勉強いたします。

それから・・・
岡本様は「昔の集印帳」のサイトを運営しておられますね。私は旧陵印を調べておりますが、岡本様のサイトの写真を興味深く拝見いたしております。私の収集にかかっていない陵印(梅鉢陵など)もあり、すごいと思って見させていただいております。今後ともご教示いただきますようよろしくお願いいたします。
 取り急ぎお礼まで      レプトン事 今崎 光規

こちらこそありがとうございます。 - おかもと URL

2019/07/04 (Thu) 22:38:15

レプトン様
ご丁寧なお返事、ありがとうございました。
当方もこちらの掲示板を見るのは週1回程度ですので、どうぞお気になさらずに。

「昔の集印帖」のほうもご覧いただき、ありがとうございます。
すこしでも、お役に立てばさいわいです。

連絡 - Redrum

2019/05/08 (Wed) 14:35:57

お気づきだと思われますが令和元年5月1日でツィッターを始めました
まあ書き込みしてるのでわかるかもしれませんが
後ろの数字は「018」でただ「れいわ」という意味になんとなく付けただけです

もうすぐ令和 - Redrum

2019/04/09 (Tue) 15:18:23

ということで先日恒例の群馬に行き、榛名神社と三夜沢赤城神社へ
三夜沢神社は去年は台風で倒木等により道が塞がれていて行けず、のリベンジのはずが
「都合により本日は社務所は・・・」の張り紙が・・・
5時過ぎて行けなかったりと今の所三夜沢赤城神社の御朱印が頂けていません
また新年号になった後だと思いますが再び行ってみようかと思います

あと榛名神社では4月27~5月6日までの超大型連休の時には御朱印の記帳は行わず書き置きのみとのことです
そして以前は御朱印300円だったのがいつの間にか500円となったようです(以前に頂いたときはかなり前だったのでいつ変わったのかわかりませんが)

実は3月 - Redrum

2019/04/09 (Tue) 15:25:10

1泊2日でした愛知の豊川稲荷と砥鹿神社、あと静岡の小國神社へ
小國神社でおみくじを引いた時に、方向「東がよく、北はいけません」でしたので凶の方向は北・・・
家からしたら北は群馬・・・たまたま不定休だった三夜沢赤城神社のことだったのかも?しれません

Re: もうすぐ令和 - Redrum

2019/04/10 (Wed) 11:00:41

訂正、3月は静岡の事任八幡宮にもお参りしてました
砥鹿神社にはちゃんと奥宮も行きました(車で・・・)あそこ下から登ってくる方もいらしてこんな山道を登ってこられる方も結構いるんだなと思ってしまいました

東京御朱印サークル - 金井 URL

2019/01/24 (Thu) 22:10:41

案内の前に
管理人様、ご迷惑でしたら削除ください。

私たちは、史跡巡りサークルの
御朱印あつめチーム
東京御朱印サークルです。

目的:皆でたのしく
    歴史を共有しながら
   御朱印あつめと
   パワースポット、史跡巡り
   を楽しむサークルです。
参加条件:未婚の社会人(学生不可)

こちらの掲示場記載でなく、
ホームページから参加申し込みお願いします。
まずはWEBを御覧ください


https://sisekimeguri.feeling.jp/goshuin-circle.html

ツイッターの参拝 - Redrum

2019/01/02 (Wed) 18:49:17

そういえば、今回の伊勢神宮(内宮)の参拝時に妙齢の女性が参拝時に二礼二拍手一礼の後に他の方に場所を譲った後斜め後ろで両手の指をOKマークにして両手を左右に広げたり上に上げたりなどもしていました

後に本殿の前まで入って参拝されていた方なのでどこかの有力者だったのでしょうか
こういった宗教家ぽい参拝が実は古い参拝方法・・・だったのかなぁと思ってしまいましたが初めて見かけたためどうなんでしょうか

明けましておめでとうございます - Redrum

2019/01/01 (Tue) 14:16:10

今年もよろしくお願いいたします
そしてサイトも陰ながら応戦しております

写真は昨年11月の神倉神社の拝殿からの日の出
なので初日の出ではありません・・・初日の出中は実は仕事してました・・・


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